「千代女」を授業する!?②

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 いよいよ千代女の生きざまが分かる年表をもとに授業を行いました。相手は4年生なので、年表には慣れていません。年表の文言を一緒に声をあげて読み上げながら、一行ずつその意味を問いかけることで事実認識を深めていくスタイルをとりました。

 「表具師って何かわかる?」

 「千代女が12歳で、どうして俳句の修業に出させたの?」

 こんな具合で進めていきました。

 さて、表具師とは、障子や襖などを作ったり、修理したりする仕事を生業にしている職業のことをいいます。また、千代女が12歳の時、すなわち小学6年生の時に、どうしてわが娘を俳句の修業にださせたのか。それは、それだけわが娘の俳句の才能が非凡なものであったからです。当然、親戚な地域の住民といった周りの人々の推奨もあったものだと思われます。文才や感性がみずみずしいものを持っていたのでしょうね。

「17歳の時に、美濃派の各務支考(かがみしこう)という松尾芭蕉の10大弟子が、千代女のもとに訪れました。こんな17歳の小娘のところに松尾芭蕉という俳句の達人の弟子がどうしてわざわざ訪ねてくるのでしょうか」

 この問いかけに、子どもたちはすかさずこう答えました。

 「それほど千代女の俳句が素晴らしいと評判だったから」

 「若いのに俳句がうまいということで、ぜひどんな人か会って確かめたかったから」

 まさにその通りです。子どもたちは松尾芭蕉を知りませんので、まずは松尾芭蕉がいかに俳諧で偉い人であったか、を伝えるながら、芭蕉の10大弟子が高校生2~3年生レベルの若い子のもとに訪れることは異例なことであることも伝えました。

 各務支考(かがみしこう)は、千代女の俳句2首ほど拝見し、彼女をこう評価しました。

 〝あたまからの不思議名人〟

 子どもたちは、この言葉を聞いて「何それ?」「どういう意味?」と笑いながら反応していました。これはこういう意味です。

 〝こんな若いうちから、不思議なほどに俳句の才能にあふれる名人だ!〟

 芭蕉の10大弟子にここまで言わしめる千代女の若いながらも俳句の才能は、やはりホントに素晴らしいものだったのでしょうね。

 この後、わずか18歳で金沢の福岡家に嫁にいき、そこでも芭蕉の有名な弟子・沢露川(さわろせん)が千代女のもとに訪れています。その交流がもとで、沢露川の発刊した『北國曲』に千代女の俳句が掲載されます。これはいわば全国機関紙に自分の原稿が載るということを意味します。子どもたちには、「自分の書いた俳句や作文が、全国版の本に載ったらどうや?」と聞いたところ、「めっちゃ、うれしい!」「家の人にほめられるわ」という反応が返ってきました。

 23歳のとき、千代女は伊勢派の中川乙由(なかがわおつゆう)のもとに入門しています。その当時の俳諧は、〝美濃派〟と〝伊勢派〟に分かれており、これまで千代女は〝美濃派〟との交流が中心だったのですが、なんと別流派である〝伊勢派〟に入門したことになります。そこでこう問いかけました。

 「どうして千代女は、これまでと違う〝伊勢派〟に入門したのかな?」

 これは例えていうなら、セ・リーグで活躍していた選手が、とつぜんパ・リーグに移るようなものであるということも伝えながら、問いかけました。すると、子どもからちゃんと考えが出てきました。

 「もっと自分の俳句の世界を広げたかったから」

 「違う人と会うことで、俳句をもっといいものにしたかったから」

 このような意見が出てきました。子どもって鋭いですね。本当にその通りなんです。千代女は、俳句に対しては、極めて向上心が高く、様々な世界に触れることで、自分の俳句の質をさらによりよいものにしたかったのだと思われます。

 ところが、38歳の時に、千代女の俳句活動が突然停滞してしまいます。

 「どうして、千代女は、俳句活動が目立たなくなったのかな?」

 子どもたちは年表をちゃんと読み取っていました。

 「だって、千代女のお父さんやお母さん、それにお兄さんまでなくなってしまったから」

 「師匠の中川乙由まで、なくなってしまうと、俳句について教えてくれる人がいなくなって、いい作品ができないから」

 「きっと家族や師匠を亡くして、ショックやったんやと思うよ」

 年表の事実から、子どもたちは千代女の心境をしつかりと読み取ることができていたことに驚きました。なかなか大したものです。

 千代女は、30代後半から40代前半という一番の働き盛りの時に、俳諧での創作活動から遠ざかっています。それは、肉親や身内の不幸、師匠の逝去による心の支えの喪失感が大きかったものと思われます。また、もう一つ大きかったのは、家業である「表具屋」を切り盛りしていかないと生計が立てられない。おそらく、生活を支えるうえでも、俳句の創作活動どころではなかったものと思われます。

 このような苦難を乗り越えて、千代女は40代後半から再復活します。この続きは、また授業を行ったあとに掲載いたします。乞うご期待ください。

 尚、千代女の年表(一部松下が手を加えたもの)を下記に示しておきます。ご参考までに。

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