今日、母校の中学校の校長室を訪れました。フリースクール・パトリのご案内とメンタルトレーニングの研修会のご案内のためでした。
そこでは、避難所開設ための生々しい苦労話を伺い、校長としての責任感と使命感をひしひしと感じとることができました。
・800名もの人が避難してきたこと ・1階のガラスが割られたこと ・職員室の扉まで外されたこと ・地震の影響で水道管が破裂して1回の一部屋がプール状態になったこと ・エアコンの電気が効かず、急遽ストーブを近隣から集めたこと・・・etc.
元旦初日から校長先生は、深夜まで学校にとどまり、翌早朝も避難所に詰め、まる1週間、学校にいたそうです。いつでも学校へ駆けつけられるように自宅では、寝床のすぐ横に着替えのスーツを置き、アルコールは一滴も飲まない状況がつい最近まで続いたとのこと・・・。心が締め付けられるような思いがしました。
そのあと、部活の話になりました。〝部活の地域移行〟は、どこの学校もうまくいっていません。文科省の「絵に描いた餅」に終わりそうです。
そこの中学校の校長先生は、次のように熱く私にこう語りました。
「中学校教師から、部活を奪って何が残りますか!?授業と生徒指導だけすればいい?そのためだけに教師になったものは、ほんのわずかだ。部活動を通した、生徒と教師との熱いコミュニケーションや深いかかわりがあるからこそ、生徒指導もスムーズにいき、教師集団と生徒たちとの関係性ができる。」
いくら教師が年をとっても、よぼよぼ爺さんになっても、〝先生、また会いに来ましたぁ〟と言ってくれることが、本当の教師冥利であり、〝教師の生きがい〟だと思うんですよ。年取って、現役去っても、先生って呼んでくれる職業は、教師だけなんですよ!だから、中学校教師から、部活を奪うなんて、働き方改革って言えるのか、はなはだ疑問です!」
この〝部活の地域移行〟の話が出てきてから、中学校教師のモチベーションは著しく落ちているといいます。確かに「働き方改革」の一環で、部活動の地域移行の話が出てきたのだと思いますが、教師にとっての「働き甲斐改革」にはなっていない、というのが現状です。
ブラックと言われて久しい学校現場から、「生き甲斐」を奪ってもよいのか・・・。災害避難所の最前線で闘いながらも、熱く「教師の生き甲斐」を語る校長先生と出会えたことは、私にとって、とても有意義であり、価値あるひとときでした。
今一度、部活動の意味や価値、目的を再考する必要があると痛感しています。読者のみなさんのご意見もぜひお聞かせください(^^)/
コメント