輪島の小学校へ行ってきました!

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 先日(7/16)、輪島の学校を訪問してきました。のと里山海道は、七尾市を過ぎたあたりから、工事跡が頻繁に残っており、凹凸とカーブの連続で運転も大変でした。しかし、地震から半年が経過し、まだこれでもずいぶん改善されたのだろうなとつくづく思いました。

 輪島の街中に入ると、下の写真のような家がたくさん並んでいました。ショックで言葉もありません。

 輪島の小学校は、6つの学校が輪島中学校を間借りして教育活動を行っています。トータルで約340名ほどの児童が、輪島中学校の1~2階を借りて授業を展開していました。(本来500名を超える児童ですが、一部金沢市以南や県外に身を寄せているとのこと)

 輪島中学校は初めて訪れたのですが、高台にあり、津波の心配もありません。しかも、校舎はとてもモダンで新しく、地震の影響をほとんど受けていないため、中学生は3階に全員移り、1~2階を空けて小学生を受け入れた格好となっておりました。

 各学年3クラス編成となっており、1・3組は、河井小と大屋小を中心のクラス編成、真ん中の2組は、残りの学校でクラス編成しての学校運営をしていました。学校にはそれぞれの文化があります。朝の会の流れや授業開始の号令のかけ方にも微妙に違いがありますから、それが突然ごちゃ混ぜになっての学校スタートとなると、いろいろとやりづらいことが多々あったのだろうと推察できます。

 校長先生を訪ねると、校長室はなく、何と図書室のカウンターが校長先生の居場所・・・。そこに3名の校長先生がおいでます。図書の本棚の向こうが職員の居場所。6つの学校の教職員がひとつのフロアでお仕事をされていました。

 職員会議ゼロ、学校行事もゼロ、プールは2時間かけてバスで移動し、河井小学校のプールまで行って活動するとのこと・・・。慣れない環境の中、当然、発達障害の子どもたちは、暴れ出すやら教室の外を飛び出すやら、大変な状況だったようです。

「学校運営という以前に、どこでどんな活動ができるか、どこの場所を確保して学習を展開させるか、ということに追われる毎日でした。」

という校長先生の言葉が、これまでの激動の日々を物語っているように思いました。子どもの対応だけでなく、間借りした校舎をどのように使い、どうやって学習を保障するかに追われる毎日だったのだなと痛感させられました。

 もちろん私と会った校長先生自身も、ご自宅は被災されています。2階の雨漏りがひどく、60枚の畳を処分したと言われていました。住めるスペースは1割程度だとおっしゃっていました。

「半年経って、ようやく〝買い物しようかな〟〝料理でもしようかな〟と思えるようになってきました。それまでは、気持ちが張り詰めていて、どんなことすら思えない毎日でした・・・。」

 この言葉に涙が出そうになりました。

 2学期以降は、下の写真にあるように、河井小学校のグランドに巨大なプレハブが完成し、そこへ引っ越しされるそうです。しかし、運動場での活動はできないままですし、このプレハブでの学校生活もいつまで続くのかも分からない状況です(向こう2年間と言われているそうですが・・・)

 先生方も子どもたちも、鬱屈した環境の中で過ごさなければならない状況です。そんな中で少しでも元気に明るく学校生活を過ごしてもらうように、私たちは何ができるか、どんな支援や応援ができるか、同じ石川県民として真剣に考え、少しでも応援や支援ができればと思っております。

 以上、輪島レポートでした。

 

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