「防災の日」にちなんで

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 昨日は、関東大震災からちょうど100周年にあたる日でした。ちょうど非常勤講師で4年生の社会科を担当していたので、この写真にあるように〝手取川〟の氾濫の様子の写真を見せたり、今年の7月に合った津幡町の水害、そして15年前にあった浅野川の氾濫の資料を見せたりしながら、自然災害の大変さを実感させるとともに「防災意識」を高める授業を実施しました。

 私も若いころに、能登沖地震時には輪島へ、福井の水害時には今立の町へ災害ボランティアとして参加したことがあります。その当時の被災地の様子の話を子どもたちに伝えました。

 地震でも水害でも、どちらも「我が家に住めなくなる」という現実があります。ぺしゃんこに押しつぶされた家から、がれきや瓦を取り除く作業。泥水が床上に浸水し水分で重くなった畳を外に出し、板の間をめくって、床下の泥を掻き出す作業を繰り返しました・・・。そのような話をすることで、子どもたちも、自然災害の生々しい実態や現実を少しでも感じ取ることができたのではないかと思います。

 日本は自然災害と向き合い、人類の智慧で乗り越えてきた歴史があります。例えば、27年前の阪神淡路大震災では、北淡町が壊滅状態になったにもかかわらず、家で生き埋めになった人を300名も救い出したことで有名です。その秘密は、「共助」の力です。町の人々は、どの家にどの人がどの部屋でどの向きで寝ているか、というところまで知り合う間柄だったからこそできた〝奇跡〟として有名です。

 共助のキーワードは、「お節介」だと思います。人と人とが単なるコミュニケーションを取り合う以上に、その人のことを思っての「お節介」が成立している町だからこそ、北淡町の奇跡ができたのではないかと私は解釈しています。共助が成立するのは、その人のことを理解しているからこそできるお節介をどんどん進めていける人間関係性ができていることである、と私は考えます。

 学校現場だけでなく、一般の職場や近所づきあいも、「お節介」が成立する場となっていけば、若い先生や若者の離職率も低下し、力を発揮しやすい場へとなっていくのではないでしょうか。

 変に遠慮するより、ちょっとすぎたお節介を焼くことの方が、スムーズに「共助」ができるコミュニティになっていくような気がします。もちろん、相手の気配りがあっての行為であることが前提ですけどね(自己満足のお節介は、余計なお世話になりますから要注意です)。

 防災のキーワードは、日ごろからのちょっとしたお節介・・・。そんな気がした防災の日にちなんだブログでした。

 

 

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