虹の向こうに何をみるか!?

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 先日、この美しい虹を見つけました。ついつい見とれてしまいました。

 それと同時に、この先、このニッポンはどうなるのだろう・・・という思いがふとよぎりました。

 かつて日本は、「徳治国家」でした。人の徳で治める国家のことです。

 しかし、今や「法治国家」になり下がってしまいました。法律より、徳が上であると私は考えていますし、かつての日本人はそうでした。DNAの中に「日本人としての徳目」が脈々と流れていると思っていました。

 東日本大震災の折り、物資を求めて店を襲うでもなく、整然と列をなして並び、地下鉄の階段も真ん中を空けて座るなど、常に相手のことを考えて行動する姿が、日本人にはありました。法律に定められているからこのような動きをするのではありません。日本人は、「和を尊ぶ民族」なのです。徳を尊ぶ国なのです。それが、この大震災の折りでも如実に出るのだなと思います。

 しかし、今や相次ぐ「パワハラ」「モラハラ」騒ぎなどが巷に相次いでいます。ある会社の重役がこうつぶやいていたことを思い起こします。

 「今の若いものを怒鳴りつけたり、叱り飛ばすこともできなくなった。反対に、若い者の顔色を覗わないといけない職場になりつつある・・・。果たしてこれで若い人材は育つのだろうか・・・」

 怒鳴らないといけない指導は指導ではないのですが、厳しい指導は時と場合によっては必要になります。しかし、真意が届かず、やれパワハラだ、やれモラハラだと騒ぐ傾向が強くなっている気がするのです。

 ここからは私見なのですが、私は、あの「行列のできる法律相談所」という番組ができてから、日本はおかしくなってきたと考えています。(別に番組が悪いとか批判のつもりはありません)

 まさに、法に照らしていいのか、悪いのか、という論議が平然となされることがあたり前になってきたと思います。アメリカナイズされてきたというか、法律で何でも解決しようとするアメリカの影響が如実に出てきていると私は実感しています。

 もちろん、法治国家は大切です。どこぞの国みたいに、独裁者の権限で法が決まる国よりずっといいと思います。しかし、法を守りさえすれば、それでいいのか。自分の資質・能力や狭い見方・考え方はさておいて、これは自分には無理、できないと思ったら、権利を傘に着て、法の庇護のもと、上司や同僚を訴えることで、自らの正当性を鼓舞する中で、本当の自分の成長はあるのか・・・。(もちろん、相手の人権を顧みず、激しい口調で怒ったり怒鳴ったりしてはいけないことは当然のことですし、理不尽な行動や態度には毅然と立ち向かうべきです)

 誤解を恐れず言えば、「自分を磨く」「自分を鍛える」という視点が、今の若者に大きく欠けているような気がするのです。磨けば当然痛い思いはします。鍛えると筋肉痛にもなるでしょう。しかし、その中を乗り越え、耐えていく中で、耐える力や解決する能力がつき、自立した社会人として、会社や社会に貢献できる人になっていくと思うのです。

 「それは古いよ、松下さん。もう今の若者は、鍛えるとか訓練とか、したがらないよ」

 分かります。ですが、自分を高めていかない限り、自己の成長はないし、組織や会社の成長もないのと思うのですが・・・。果たして誰かが自分の代わりにしてくれるのを待っているのでしょうか。誰もしてくれないから、文句言って、訴えて、当然という風潮が出てきつつあることに危惧を覚えています。

 現在、教育に欠けているのが、〝起業家教育〟と〝金銭教育〟です。多くの子どもや親御さんは、将来の安定ばかりを求め、社長やトップを目指そうとしない現状があります。お金をたくさん儲けることで、さらに社会に投資し、社会を発展させ、人を活かす場や会社を創業していこうという人が、極めて少ないと思います。(欲がないというか、大きな夢を抱かないという感じがします)

 停滞から発展へ、衰退から繁栄へ・・・!

 発展繁栄を築いていこうとする人財を育てていく教育の在り方を求めていくことが、この冒頭の写真にある虹の向こうにある未来のあるべき姿ではないかと私は思っています。

 以上、私の独り言でした。言葉足らずで誤解を招きかねない文面もあったかと思いますが、どうか真意を汲み取っていただけると幸いです。

 

 

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