いよいよ千代女の授業の最終回!
家族や師匠を亡くして意気消沈していた時期を乗り越え、いよいよ俳句の活動の再開!
その折に、彼女は「尼」になっています。果たしてそれはどうしてか!?
子どもたちは、次のように答えてくれました。
「だって、お父さんやお母さん、お兄さんだけでなくて、師匠の中川乙由まで亡くしているから、その人たちのお参りを尼になってしたいと思ったからでないかな」
なるほど、さすがいいところをついています。
しかし、実はそれだけではありません。「尼」になるということは、行動制限がなくなり、俳人として活動しやすくなる、というメリットがありました。当時の江戸時代は、女性が遠い地域や違うところへのこのこと外出することはなかなかしづらい時代です。ところが、「尼」となると、仏門に使える身として、様々なところへお坊さんとして伺うことが可能となりました。尼になることで、彼女の俳句活動はますます盛んになります。
①狩野派の画家たちと掛け軸でコラボする活動が展開される
②第11次朝鮮通信使の土産物として、千代女の俳句が書かれた掛け軸や扇子が選ばれる
③晩年、「千代尼句集」が2巻も全国販売される
狩野派と言えば、江戸時代の一大画家グループです。そことコラボした作品ができるほど千代女の俳句は全国で名をとどろかせていたということになりますし、その証拠に朝鮮通信使の土産物として、千代女の俳句の掛け軸6本と扇子が15本も送られたということは、それだけ知名度が高いということになります。ましてや「千代尼句集」という自分の選句集が全国へ向けて発刊されるということは、この田舎である松任地区では考えられないほどすごい出来事であると言えるのではないでしょうか。
千代女の代表的な俳句、2句を紹介したあと、授業の最後に、子どもたちに季語なしの千代女への俳句を書いてもらいました。次の通りです。
「千代女はね 俳句のヒーロー 白山の」
「千代女はね 俳句大好き 尼になる」
11月にいつも書いている俳句の発祥ともいえる「千代女」の生きざまを知ることで、ますます俳句を意欲的に書こうとする子が増えてくることを心よりねがぅております。
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