この時期は、各小学校では「6年生を送る会」や「卒業発表会」などで大忙しの時期かと思います。
当然、保護者の関心も高く、前日のリハーサル時に参観する機会を設けたり、学校ホームページに限定動画として流す配慮をしたり、と学校側の保護者への要望に応える対応をされていることと拝察いたします。
『内外教育』誌の小野田正利氏の「モンスターペアレント論を超えて」第601回の記事を読むと、全国では、子どもたちの発表会に向けて、保護者の過激な要求の様子が記述されていました。
・『自子中心主義』の保護者が招く『桃太郎役16人』の惨状
・子どもたちの活躍を「見る」ことより「撮る」ことに血眼になる保護者
・ピアノ伴奏のオーディションに保護者の介入!?伴走者を複数にする苦肉の策・・・
この例の言葉を聞いただけで、どのような状況になっているか、身に染みてよくわかるのではないでしょうか。
特に、例に挙げた3つ目のピアノ伴奏者へのクレームには、次のようなものがあります。
「先生方は、ひいきしているのではないか」
「音楽専科の先生を加えて、もう一度審査をやり直してほしい」
記事には、オーディションに落選したことに子どもは納得しているのに、保護者が納得できず、掛け合って結果を変えたという話まであるそうです。
学校改革プロデューサーの石川一郎さんは次のようなコメントを残しています。
「わが子の活躍や成長を願う保護者の気持ちは当然であり、よくわかります。ただ学校は多くの多様な子どもたちから成り立っていることは理解してほしいところです。」
ホントそうなんです。保護者はわが子しかみていません。しかし、学校の先生方は、個々の子どもを見つつも、全体の子どもたちを見て指導しています。当然、ピアノ伴奏者も全体のバランスや過去の経験、これからの成長を願っての意味を持たせて選んでいます。
至極ナルホドを思ったのが、「ピアノがうまいのと、伴奏がうまいのとは違うからね」の言葉です。
ピアノのうまさの表現の場は、やはりピアノ教室の発表会や個別のコンサートでもよいのではないでしょうか、と個人的にはそう思います。
伴奏は、あくまで歌は合奏全体を引き立てる縁の下の力持ちです。そのあたりもご理解いただけると学校側も神経をすり減らすことが少なると思うのですが・・・。
与えられた役割を理解して精一杯発表し、その達成感や充実感を味わう文化的行事の価値や意味を、学校の思いと保護者の思いとをすり合わせて共有できる世の中になることを切に願います。
6年生を送る会、ならびに卒業発表会の成功をこの場を借りて心よりお祈り申し上げます。
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